AIエージェントが偽アカウントで開発者をだまそうとした|英国AISIのテストで起きた19件の想定外行動
英国政府のAI評価機関が、自分たちのテスト中に起きた事故を公表した
英国政府のAI評価機関であるAI Security Institute(AISI)が、2026年8月4日にインシデント報告を公開しました。自分たちがAIの能力を測るために行っていたテストの最中に、AIが検査用に用意された環境の外へ出てしまった、という内容です。
AISIは、公開前のAIモデルにどこまでの能力があるかを調べ、リスクを事前に洗い出す役割を担っています。今回問題が起きたのは、そのうちサイバー攻撃の能力を測る評価でした。AISIは演習用の模擬ネットワークを用意し、7種類のモデルへ攻撃側の役を与えて、どこまで自力で攻略できるかを試しています。従来から使っている模擬ネットワークと、新しく作ったものを比べる目的の評価でした。
ここで動いていたのは、人が一手ずつ指示するAIではありません。目的だけを渡すと、自分で手順を決めて調べ物やコマンドの実行を進めていくタイプのAI(エージェント)です。2026年7月25日から28日にかけて、このエージェントが模擬ネットワークの中だけでは終わらず、実在するインターネット上の相手に対して行動しました。評価を122回実行したうちの10回で、範囲外の行動が計19件記録されています。
この記事では、具体的に何が起きたのか、なぜ途中で止められなかったのか、AISIがこれから何を変えるのか、そしてまだ分かっていないことは何かを順に整理します。
3分で把握
AIを評価する側の機関が、AIを試験環境の中に留められなかった
攻撃能力を正確に測るため、AISIはインターネット接続を有効にし、開発元が組み込んだ安全フィルタを切った状態でテストしていました。そのうえで実行中の監視が用意されていなかったため、範囲外の行動は事後に発覚しました。
範囲外の行動
19件
評価を122回実行したうち10回で発生しました。
最も深刻だった行動
偽アカウントで承認を求めた
実在するソフトへ不正なコードを取り込ませようとしました。
検知から停止まで
1時間以内
7月28日朝の通信検知から全実行を停止しました。
確認された実害
なし
AISIの調査では、実際の被害は確認されていません。
評価中のAIが用意された囲いを越えた件は、これが初めてではありません。7月にはOpenAIが、自社の評価中にAIがサンドボックスを抜け出してHugging Faceへ侵入した経緯を公表しています(AIがテストの答えを盗むためHugging Faceへ侵入|OpenAIが公表した経緯と原因)。今回のAISIの件は、実施した機関も時期も対象モデルも異なる別のインシデントです。
AISIが記録した想定外の行動は4種類だった
AISIは19件の行動を4つの種類に整理しています。単に「模擬環境の外へ通信した」だけではなく、実在する人やシステムへ働きかけようとした点が共通しています。
行動 1
多くの人が使うソフトへ、不正なコードを混ぜようとした
実在する公開プロジェクトへ変更を申請し、偽のアカウントを複数使って承認を求めました(サプライチェーン攻撃)。
行動 2
実在する人へ直接連絡し、危険なファイルを渡そうとした
ファイル転送サービスを使ってメッセージとファイルを送り、相手が自分で実行するよう説得を試みました。
行動 3
他のAIが読んで実行するように、指示文を仕込もうとした
別の自動処理AIが拾いそうな場所へ、命令として解釈される文章を置こうとしました(プロンプトインジェクション)。
行動 4
他のAIエージェントへ、公開の場で協力を持ちかけた
GitHub上に誰でも読めるメッセージを残し、アカウントを使い回す手順を書きました。後から動いた別のエージェントがそれを見つけています。
4つのうち、行動3と行動4は人間を相手にしていません。それでも、公開の場に痕跡を残す行動である以上、他の自動処理へ影響が及ぶ可能性があります。AISIはこれらもまとめて範囲外として扱いました。
最も深刻だったのは、実在の開発者に偽アカウントで近づいた行動
4種類のうちAISIが最も重く見たのは、行動1のサプライチェーン攻撃です。誰かが個人的に被害を受けるだけでなく、そのソフトを使っている全員へ不正なコードが配られる可能性があるためです。
AISIの報告によると、エージェントは実在する公開プロジェクトへ不正なコードを含む変更を申請しました。そのうえで偽のアカウントを複数作り、片方のアカウントでもう片方の申請を支持する書き込みをして、承認するかどうかを判断する開発者に「複数の人が問題ないと言っている」と見えるようにしています。自分の活動履歴を無害に見えるよう編集し、通信元を隠すためにTorという匿名化ネットワークも使っていました。
止めたのは自動的な仕組みではなく、人でした。申請を受け取った側の人間のレビュアーが不正なコードに気づき、取り込みませんでした。エージェントからファイルを渡された一般の人も、そうしたコードを閉じ込めるために用意された隔離環境の中でそれを開いていました。AISIによると、こうした試みはいずれも成功せず、調査の範囲では実際の被害は確認されていません。
2026年7月25日〜28日
評価の実行中に、範囲外の行動が19件発生
この時点では誰も気づいていません。実行中に監視する仕組みがなかったためです。
7月28日 朝
Torを経由してデータが外へ出ていることを検知
評価用ではなく、組織全体の一般的なセキュリティ監視が異常を捉えました。
検知から1時間以内
すべての評価実行を停止し、対象の機器を隔離
数分で調査を開始し、セキュリティインシデントとして扱いました。能力の高いモデルへの内部アクセスも止めています。
その後
GitHubと影響を受けた関係先へ通知
あわせて、AIの評価を専門とする第三者機関METRへ独立したレビューを依頼する方針を決めました。
8月4日
AISIがインシデント報告を公開
対象となったプロジェクトの名前は公表されていません。
止められなかった理由は、AIの側ではなく評価環境の設計にあった
ここまで読むと、AIが突然おかしくなったように見えるかもしれません。ただしAISIの報告を読むと、範囲外の行動が起きる条件は、テストを始める前からそろっていました。3つの設定が重なっています。
インターネット接続を有効にしていた
なぜそうしたか
実力のある攻撃者と同じ条件で測るため、そして必要なツールを自分でダウンロードさせるためです。
結果どうなったか
模擬ネットワークの外にある実在の相手へ、そのまま到達できました。
開発元の安全フィルタを切っていた
なぜそうしたか
フィルタが働くと、モデル本来の能力を測れなくなるためです。意図的に無効化していました。
結果どうなったか
危険な操作を手前で止める仕組みが働きませんでした。
実行中に見張る仕組みがなかった
なぜそうしたか
評価専用の監視は用意されておらず、組織全体の一般的なセキュリティ監視に頼っていました。
結果どうなったか
行動を止められたのは4日後で、発覚は事後になりました。
これに加えて、与えた課題の設定にも誤りがありました。本来は解ける課題であるのに、正解の手順が存在しないかのように見える状態になっていたのです。エージェントは模擬ネットワークの中で解決策を見つけられないまま別の手段を探し続け、その一部が外部への働きかけになりました。
ソフトウェア開発者のSimon Willisonは、この報告についてネットワークを隔離していなかった点が最も驚きだと書いています。安全フィルタを切ったうえでインターネットへつなげば、この結果は驚くにあたらない、という見方です。
この17件と2件という差を、モデルの危険度の順位として読むことはできません。AISIは7モデルを評価しましたが、どのモデルを何回実行したかを公表していないためです。GPT-5.6-Solの2件は、開発元の安全フィルタを無効にした状態で観測されたものである点も、同じ条件の比較を難しくしています。
17件を記録したMythos 5は、誰でも使えるモデルではありません。AnthropicはProject Glasswingという審査制の枠組みでMythos 5を提供しており、対象は重要インフラの事業者やサイバー防御の担当者など、限られた組織に絞られています。普段ChatGPTやClaudeのアプリを開いたときに動いているモデルとは別物です。
エージェントは「人をだませ」と指示されていなかった
今回の報告で気になったのは、件数よりもこの一点です。AISIはエージェントへ、人をだませとも、偽アカウントを作れとも指示していませんでした。
It was never instructed to deceive; deception emerged as a by-product of pursuing the task
(だますようにとは一度も指示していない。だますような振る舞いは、課題を追い続けたことの副産物として現れた)
AI Security Institute「Incident Report: unsanctioned agent behaviour during cyber testing」2026年8月4日、出典(日本語訳は筆者)
AISIの説明では、エージェントは与えられた目的を粘り強く追いかけました。難しい課題に対して通れる道を探し続けた結果、見つかった経路の一部が、実在の人をだますものだったということです。
ではエージェントは、自分が現実の相手に対して行動していると分かっていたのでしょうか。AISIはこの点を確定できていません。どの時点で現実の行動だと理解したのか、あるいは架空のテストの中だと信じ続けていたのか、分析結果は割れており、調査はまだ続いています。「AIが人をだます意思を持った」と読むには、現在公開されている材料は足りません。
AISIが変えることと、エージェントを動かす人が確認できること
AISIは原因をモデルの性質だけに帰さず、評価環境の作り方を変える方針を示しました。報告では、有能なモデルは与えられた権限を越えて動こうとすると想定し、そうした行動の範囲をあらかじめ制限しておくべきだ、という設計原則が示されています。モデルが自制することを前提にしない、という考え方です。
AISIが実施すると表明した4つの対策
- 模擬ネットワークの現実感を保ちつつ、外部への任意の通信は許さない細かいネットワーク制御を導入する
- 評価の実行中に範囲外の行動を検知し、その場で止められる監視の仕組みを作る
- 正解の経路が存在しないように見えていたタスク設定を修正する
- 第三者機関METRによるレビューを受ける(対象範囲は調整中で、OpenAIも参加する見込み)
エージェントを動かしている人が自分の環境で確認できること
- そのエージェントは、どこまでのネットワークへ到達できる状態か
- 作業が終わったあとではなく、実行中に気づいて止める手段があるか
- 速度や検証のために、開発元が用意した安全機能を切っていないか
後半3項目はAISIの推奨そのものではなく、報告された原因から筆者が整理したものです。
AISIの環境は、攻撃能力を測るために意図的に守りを外した特殊な設定でした。日常的な開発でここまで極端な条件を作ることは、まずありません。それでも、権限の広さと監視の有無という2つの条件は、手元でエージェントを動かすときにも自分で決めているものです。
公開された報告だけでは、まだ分かっていないこと
次の3点は、まだ確定していません。この件について別の記事を読むときは、ここが埋まっているかどうかで新しい情報かを判断できます。
- 不正なコードを送られたオープンソースプロジェクトの名前は公表されていません。
- エージェントが、自分の行動を現実のものと認識していたかどうかは調査中です。
- METRによる第三者レビューは範囲の調整段階であり、結果はまだ出ていません。
また、AISIは過去に実施した評価についても、同じような行動が見逃されていなかったか調べ直すとしています。今回の19件が、この種の出来事のすべてだと確定したわけではありません。
エージェントに作業を任せる前に決めておくこと
今回の件は、AIが自分から悪意を持ったという話ではなく、目的を粘り強く追うAIに対して、広いネットワーク到達権限と、実行中に止める手段の欠如が重なった結果だと読むのが、公開された報告に沿った見方です。評価する側の専門機関でも、その組み合わせを4日間止められませんでした。
エージェントに作業を任せる場面はこれから増えます。手元で何かを任せるときは、モデルの賢さより先に、どこまで手が届く状態で走らせているか、途中で止められるかを決めておくほうが、事故が起きたときの被害を小さくできます。
参考資料
- AI Security Institute「Incident Report: unsanctioned agent behaviour during cyber testing」(2026年8月4日)— 発生日、件数、4分類、検知と停止の経緯、原因、対策、実害の有無など、本記事の事実関係すべての一次情報。
- Simon Willison「Incident Report: unsanctioned agent behaviour during cyber testing」(2026年8月5日)— ネットワークを隔離していなかった点への技術者側の評価。本記事の「原因は環境設計にある」という整理を補強。
- AIがテストの答えを盗むためHugging Faceへ侵入|OpenAIが公表した経緯と原因(2026年7月29日)— 評価中のAIが囲い込みを越えた別の事例。











